津金楼の歴史

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創業は明治十八年。 現在は四代目が活躍中です。

百有余年の歴史と、長く親しまれる温かな「おもてなし」

当館は、明治18年(18ワ5)に初代津金胤林(たねしげ)によって山梨県須玉町津金の地において創業いたしました。
逐中、須玉町増富の地において鉱泉湧出に着目し始め、大正3年(1914)に新築し、移転しました。米国在住中の初代の弟、胤和(たねかず)からの通信により、日本最初のラジウム含有量多き鉱泉なる事を発表し人々を驚かせました。

創業より数えまして百有余年、その間この須玉の地を訪れるお客様の変わらぬご愛顧に感謝いたいております。

昭和初期の津金楼の写真

人々を癒す湯治場として

増富ラジウム温泉は、武田信玄公が金山の鉱脈を探る中で発見し、武田軍の負傷兵が湯治したと伝わる歴史の古い鉱泉です。
「山椒魚」や「ジョン万次郎漂流記」などで知られる小説家、井伏鱒二も、この増富温泉を繰り返し訪れ、1934年に出版された『田園記』収録のエッセイ「増富温泉場」で当温泉地のことを記しています。
当宿は増富の大湯元として、天然ラジウムの効能を求めて逗留する湯治のお客様を中心に、ゆっくりと長く泊まれる温泉宿として、親しんでいただいております。

ラドン含有量が豊富な温泉質

当温泉は昭和12 ・13 年の2回東京大学教授理学博士、木村健二郎先生のご検査によりラドン含有量は多量に含まれていると折紙をつけられました。以来、多くの学者の研究により、その事が裏付けられております。

なお、空気清澄、豊富な紫タト線と多量のエマチオンガスの発生は入浴後爽快な気分となり、居ながらにして健康増進の最適地です。

 
湯元の看板

明治・大正初期のパンフレット

時代の趣を感じるデザイン

古いお客様より、おゆずりいただきました。